Leonard Fujita

藤田嗣治

異端と正当の間で ─ 奇才、レオナール・フジタ<没後50年記念>リトグラフ展

2018年9月16日〜10月7日まで

このたびの緑ヶ丘美術館秋季企画「藤田嗣治・リトグラフ展」は10月7日(日)をもって終了いたしました。
今回の企画展は9月16日(日)からの非常に短い開催期間ではありましたが、
初日には84名の来館者の方々にお越しいただき、その後も日々、多くのご来館があり、
開催期間中の来館者総数は約679名に達しました。
これは当美術館にとりましても予想をはるかに上回る結果となり、
今後の美術館運営の大きな励みになりました。
10月8日(月)~10月13日(土)までは次回作品展の準備のため休館とさせていただきますが、
10月14日(日)からの九谷赤絵細描福島武山展「次元を辿る赤の小宇宙」に是非ご期待ください。
これからも皆様のご期待に応えられますように精一杯取り組んで参りますので、
引き続き緑ヶ丘美術館をよろしくお願いいたします。

緑ヶ丘美術館 オーナー 菅野一夫
スタッフ一同

第一次世界大戦前よりフランスパリで活動し、ヨーロッパで高い評価を受けた画家、
藤田嗣治(レオナー ル・フジタ 1886~1968) 。

藤田は東京美術学校(現在の東京藝術大学)で西洋画を学ぶが、 当時、 印象派の流れをくむ明るいタッチが主流であった日本画墳では、 藤田の黒を多用した暗い作風は異端視され受け入れられなかった。

美術学校卒業後、パリに渡った藤田は、キュビズムやシュールレアリズムなど新しい絵画の表現に衝撃を受け、自身の画風を確立すべく模索。
その中で生まれた独自の表現、透き通るような白で裸婦を描いた作品は一
「乳白色の肌」と呼ばれ絶賛され、 躍パリの寵児となった。

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    カフェ

    (カラーリトグラフ)

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    誕生日

    (カラーリトグラフ)

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    子供部屋

    (カラーリトグラフ)

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    母子像

    (カラーリトグラフ)

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    猫を抱いた頭巾の少女

    (カラーリトグラフ)

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    窓の前の少女と猫

    (カラーリトグラフ)

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    フォークを持つ少女

    (シルクスクリーン版画)

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    (銅版画)

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    キリスト生誕

    (銅版画)

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    東方三博士の礼拝

    (銅版画)

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    猫と少女

    (カラーリトグラフ)

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    椅子にもたれる裸婦

    (カラーリトグラフ)

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    パリの少女

    (カラーリトグラフ)


Leonard FOUJITA藤田嗣治 <没後50年記念>リトグラフ展

異端と正当の間で ─ 奇才、レオナール・フジタ

1886年(明治19年)、陸軍軍医の次男として生まれ、人生の半分をフランスで暮らした天才画家・藤田嗣治。若いころ東京美術学校(現・東京藝術大学)で学ぶも、当時の日本画壇の作風とは合わず、その後フランスへ渡りました。

そこでキュビズムやシュールレアリズムなど新しい20世紀の絵画に大きな衝撃を受けて、今までの作風を放棄しました。面相筆による線描きを活かした独特の透き通るような画風「乳白色の肌:Milky White」を確立し、一躍名声を高めた藤田は、パリの寵児になったのです。1925年にはフランスから最高勲章のレジオン・ドヌール勲章を贈られました。

第二次世界大戦中に日本へ帰国して戦争画の制作を手がけた藤田は、終戦後に「戦争協力者」と批判されたことで日本の国情に嫌気がさし、再び日本を去ります。フランスに戻ってフランス国籍を取得した藤田は、その後日本国籍を抹消しました。
晩年にはカトリックの洗礼を受け、洗礼名「レオナール・フジタ」を授かりました。
そして二度と日本の地を踏むことはなかったのです。

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若い頃から自分の感性が通じない日本画壇との軋轢や、戦争に翻弄された人生。そんな中で藤田を支えたのはフランス画壇でした。モジリアニやピカソらとも親交が深く、数多くの名画を残しました。

この度の緑ヶ丘美術館での「藤田嗣治〈没後50年〉リトグラフ展」では、藤田が生前に残した名画や彼が大好きだった子どもたち、猫の作品を通じて、リトグラフに浮かび上がる天才画家・藤田嗣治の心の内をじっくりと味わっていただければと企画しました。
「キリスト生誕」と「東方三博士の礼拝」のクリスマスカードは、エッチング技法の作品です。GHQのマッカーサー元帥夫人からフランク・シャーマンが依頼を受け、藤田が制作をしました。
このカードが、占領下の日本から藤田が脱出できるきっかけとなったのです。
そして二度と日本に帰ることはありませんでした。

1枚の絵が人生を変えたのか、人生が1枚の絵を描かしめたのか。
それぞれのたった1枚の絵に込められた藤田の想いを想像してみてください。

一人の天才日本人画家が、50年前にフランスでこの世を去りました。

藤田嗣治を偲んで ──
緑ヶ丘美術館オーナー・菅野一夫

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