奈良漆芸の伝承者
この度、緑ヶ丘美術館では、古都・奈良に伝わった螺鈿漆芸を今に伝え、伝統を超えた現代的な作風にも挑戦する漆工芸家の山本哲氏の作品展を開催いたします。奈良は古くは平城京があり、正倉院で知られるように多くの宝物が集まりました。螺鈿もまたその一つです。この歴史ある奈良・生駒の地で、伝統ある螺鈿漆芸を継承しているのが山本哲氏です。
当美術館では、地元奈良の文化伝承の一助となればと〈まほろば漆〉をテーマに本企画を立てました。日本の伝統工芸の中でも漆芸は日本の美として高く評価されています。ぜひこの機会に、今に伝わる奈良漆器・螺鈿の世界をお楽しみください。
創作の原点
山本氏の漆芸工房・艸芸廠(そううんしょう)は、奈良・生駒の山里にあり、工房の庭には自然の草木、合歓の木、楓、椿、山紫陽花などが繁り、裏の竹林には笹がそよぎ、朝顔や野葡萄の蔓が天を目ざす。氏自らも東洋蘭が趣味と言うだけあって、庭には複数の蘭鉢が無造作に置かれています。
ここ奈良・生駒の工房からは、まほろばの穏やかな山の稜線を望み、春には蝶が舞い、色鮮やかな野の草花たちがおしゃべりをする。夜には蛍が飛び交い、梅雨には雨が煌めき光のカーテンとなる。一歩、歩みを進めると小川が流れ、田圃があり、黄昏にはススキが風に揺れる……。これらは皆、山本氏の作品のモチーフとなって漆地に季節折々の記憶が埋め込まれるのです。その感性は実に巧妙で、実に優しく、仕上がった作品の命名にも刻まれています。「薄暑」、「響」、「瀯瀯」、「凛」、「律の調べ」、「ゆたにたゆたに」など、どれも奈良・まほろばの自然の情景や歴史観を色濃く映し出しています。つまり、此処こそが山本哲の創作の原点だと解るのです。
漆工芸への道「螺鈿を極めるために、漆を極める」
山本氏と螺鈿との出会いは、20歳の頃に見た木漆工芸・人間国宝の黒田辰秋氏(くろだ たつあき・京都)の螺鈿作品だと言います。その衝撃が脳裏から離れず大学を卒業後、一旦は東京の民間会社に就職しましたが、どうしても螺鈿が忘れられず、螺鈿漆芸の世界に飛び込んだ。当初、奈良漆器の第一人者である樽井喜之氏〈禧酔〉(たるい よしゆき)〈きすい〉に弟子入りし、漆と螺鈿を習得。その技術には気の遠くなるような工程があり、それぞれに科学的で理にかなった師の制作手法に感心したそうです。精神論ではなく実践論の師匠は、「やってみないと分からない」という考えで、最初から高価な貝の切り貝作業や自分の作品づくりもさせてもらい自信がついたのです。
そして、3年間の修業の後に独立。山本氏は次々と自由な発想で、自分のイメージを大切にした独自の斬新な作品を仕上げていきました。その成果は、数々の受賞歴と薬師寺や京都迎賓館などの漆工芸分野での従事が証明しています。
「イメージしたものを漆の匣に描く。技術はそれを全うさせるための手段」。これが山本氏の創作哲学です。「イメージと技術、それは表現の両輪だが、人は技術には感心しても、感動はできない。やはり、技術に裏打ちされたイメージを大事にしたい」と言います。
また、山本氏と螺鈿の関係は、まさしく、「はじめに螺鈿ありき」であって、螺鈿を極めるために漆を極める。これが山本氏の螺鈿の核心なのです。
「現代の日本的な螺鈿を表現したいと思っています。日本的というのは、刻々と変化する四季のうつろい、風や空気、匂いといった微妙な雰囲気を感じられるようなものを作りたいんです。そして、誰が見ても美しいもの、理屈抜きにきれいだと感じられるもの。多くの人に見てもらって、感じて響き合えると嬉しい」という言葉が創作の全てを物語っています。
映像で見る「山本哲の世界」
緑ヶ丘美術館では、「山本哲 漆芸展」開催にあたり、作家の創作を紹介するプロモーション映像を制作しました。奈良・生駒の山本氏の漆芸工房・艸芸廠で制作の現場を取材しました。
螺鈿に欠かせない奈良漆器の極み〈切り透かし〉の精密な技や、漆黒の深い黒の艶出し〈蝋色〉の磨きなど、息が止まるほどの山本氏の集中力が伝わってきます。
これらの映像は会期中、美術館で常時上映しておりますので、展示作品と共にご鑑賞ください。
緑ヶ丘美術館 館長 菅野一夫